自分を知れば、すべてが見える

いろんなものをみたり、聞いたり、経験したり、行動したりしてきた。
そんな経験をしてきたけど、経験とは、結局自分自身で行ってきたことが残っているように思う。

それが、しんどかったことであれ、楽しかったことであれ、苦しかったことであっても、自分が行ってきたことが残っている。そんな気がしている。それが、ただ見ただけのモノ。たとえば、テレビ、映画、ドラマなんかは、あまり残っていない。なんというか鮮明ではない。いまでは、なんとつまらないものか、と感じる。

でも、小さい頃、畑で野球をしたとか、小学生の頃朝早く起きて3時頃から山へカブトムシを取りに行ったとか、中学生のころ、海で泳いでいてどこまで遠くに行けるかなんて考えて海でおぼれかけただとか、そんなことは、むちゃくちゃしっかり覚えている。

ほんとうに、ろくでもないことばかりしてきたんだと思うが、そんなことしかやってきていなかったりする。
でも、事実なのだ。そんな程度だった。いまでもあまり変わりない。

結局、そんなことが生きることであって、なにも、何か偉大なことをしたとか、すごく人の役に立つことを残したとか、、、そんな事ではないんだろうなあ・・・・そんなたかだか1庶民が、ただ生きるのに必死に過ごすぐらいが精一杯だったのだ。

そして、庶民がそんなことしかできなくしているのが、この世の制度であったりする。誰も知らないけど・・・。やっと理解し始めたところなのかも知れない。事実を。自分を。

自分を知れば、すべてが見える。
自分がわからないまま生きていた。知らなかった。なにもかも・・・。
生かされてきたんだろう・・・。しょうがないね、じぶんを含めた、周りの環境がすべてそうなのだから、その環境が真実と思ってしまうのが人間なんだもの・・・。

だから、周りの環境を断ち切れば、見えるのだ。
断ち切らなければ決して見ることはできない。
しかし、ほとんどの人間はそなことをしない。できない。恐いからしないできない。だから、見える事もない。死ぬまで・・・・。

思い込み

思い込み。思い込みだらけの毎日。というか、そんな思い込みに縛られていた。縛られていたと気づくのに、3年。解き放つのに、3年、そこから脱した自分を理解するのに3年、まったく新しい、いつも常にフレッシュな自分でいられるようになって3年。やっとココまで来た。

ここまでくるとは思っていなかった。ここにあるとも思ったいなかった。理解の先にあるものだったから。理解していない所では、みることはできないようになっている。それはすべての物事に当てはまる。
なにを言っているのか理解できないとは、そうゆうことである。言っている人の意味が理解出来なければ、自分はきいていないのと同じ事なのだ。つまり、自分がそこまで言っていなければ、聞いても同じ。聞かなくても同じ。聞く時間がムダなのである。

ということは、つねに、自分を鍛えることこそ重要である。自分がその理解がデキル人物になっていることがカギ。なっていないと、わからないのだから・・・。

はてさて、理解しているひとがどれだけいるだろうか・・・。
わからない人には、一生かかってもわからない。そんな人物も生きている。空気を吸っている。食べ物食べている。なにも、考えることなく、ただ、言われるがままに。そして、そうゆう人はただ言われるがママに過ごしているなんてこれぽっちも思ってやしない。理解していない自分では、決して理解の先には行けないのである。

そんなことを考えつつ、というか、そうゆうことが理解出来るようになってからというもの、つねに、物事が楽しくなってきた。その人、その起こっている現象、その前の物質の意味、が手に取るようにわかる。そして、こんなことをほとんどの大多数の人間にはわからない。特に日本人は阿呆に教育されてきたから、わかる人間は皆無に等しい。トップの人間だけぐらいだろう。、そうゆう教育を受けてきたから。。。。

その点ヨーロッパの庶民はそれなりに、理解するのだろうけど・・・・

2015年11月

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